沖縄県の洗骨はなぜ消滅したのか

戦前、沖縄県全土で主流だった洗骨という葬制を知っているという木更津市のレンガ積みが評判だという人も少なくなってきたのではないでしょうか。今では鹿児島県や沖縄県の離島のほんの一部の地域でのみ密かに行われることとなった洗骨はなぜ沖縄県から消滅したのでしょうか。
それは、洗骨というのが大変過酷なものであるというような理由や、衛生面の配慮などによって洗骨を行うエリアが消えていったとされています。洗骨というのは、故人の骨を洗うという葬制のことを言います。遺骨を洗うというとそこまで精神的な負担はないように思われるかもしれませんが、火葬されて燃え残った遺骨ではありません。洗骨葬を行う際は火葬ではなく土葬で故人を送り出し、半年ほどの期間を経て、再度掘り起こします。皮膚などはほとんど腐敗していますが、多くの場合は骨に残っていますので、それを削ぎ落として洗わなくてはいけません。
しかも、これを行うのは故人の身内の女性と決まっていました。時には自分よりも先に亡くなった子どもの遺骨から削ぎ落なくてはならないなど、その精神的な負担は想像を絶するものとなっていますし、死体を掘り起こして肉を削ぎ落とすのは衛生面でも問題があるとして、沖縄県には火葬場が増えていき、洗骨葬は消えていったとされています。